Thursday, November 27, 2014

The Extreme Tour Japan 2014 (XTJ2014) を終えて、講評、感想

[This post is all in Japanese. Sorry, because this is for our Japanese friends. If you are non-Japanese speaker, don't trust automatic translation. Because it often ends up in totally opposite meanings.]


日本では2度目の開催となる
The Extreme Tour Japan 2014が終了した。
The Extreme Tour Japan、以下"XTJ"、と略しいししすすます。

たくさんの感想と、思考があるので整理したい。
いつも僕の文章は、twitter140字とかFacebookのちょっとしたアップデートの域を越えて文章が長いのですがすみません。
自分としてはこれは自分の中での思考の記録であると同時に、神さんへの報告であるつもりの感じです。いつもそうです。


まず今年は、アメリカから、誰が来るんだ、どのアーティストが来るんだ、という、そこのところから、いっこうに決まらなかった。

本来ならキックオフイベント、The Objective(テネシー州ナッシュビルの大きな会場で行われる)が行われる5月の時点で、決定しなければいけないはずの、「このバンドが日本に行きますよ」ということが決まらず、スコットから「なかなかバンドが見つからない。」というメッセージが届く。

つまりは、自分たちで飛行機代を工面してまで、決して見入りのいいとは言えないこの草の根ツアーであるThe Extreme Tourの日本の部に参加するバンドを見つけるのは、決して簡単なことではないということだ。
(それでもまったく自分たちで日本をツアーするよりは、よほど良い条件なんだけれどね・・・)


思えば、2013年のXTJに参加してくれたバンドたちは、前年の2012年のアメリカのThe Extreme Tourで、僕らのImari Tonesと一緒にツアーを回ったバンドたちだった。
3組のうち、C.J.Lassiterだけは、ツアーは一緒に回っていなかったが、2011年のThe Objectiveでとなりの席になり会話を交わしていたのだった。
そういう意味では、やはり僕らなり他のバンドでもいいけれど、アメリカのXTに乗り込んで、一緒に回って互いに親交を深め、その上で日本ツアーに来てもらうことは大事なことかもしれない。


さてそんなこんなで、The Lacksが来るのかどうか、最後の最後までひっぱり、ツアーは11月だというのに、10月に入って、ひと月を切って、The Lacksはやはり無理だということになり(この時点で、結構、あれだけれど)、急遽、エクストリームツアーの創始者でありボスであるテッド・ブルーンと話し、彼は「ラッパーを一人送り込む。彼の名はアンジェロ。彼はアコースティックギター一本でラップをする。彼は日本でもきっとうまくやるだろう。」とのこと。

この時点で僕が思ったのは、「確かに、日本はアコースティックが大事だからアコースティックが出来る奴を送ってくれと言ったけれど、ラッパーかよ。ラッパーが一人で日本に来て、言葉も通じないのに、果たして受けるのか?」ということだった。

そしてここでツアーを終えて、このアンジェロ・ゴンザレスという一人の男、一人のアーティストについて講評を述べねばなるまい。なぜならアメリカからのゲストがアンジェロ一人だった今回のXTJ、よくもわるくも「アンジェロ・ツアー」であったからだ。

まず結果から言うと、アンジェロはラッパー一人でも大丈夫だった。
というよりも、アコースティック一本で来れるアーティストとしては間違いなく最強クラスだった。

アンジェロはラッパーであるが、歌い上げることもできるアーティストで、そのしぶい歌声には十分すぎる説得力があった。
そして、ラッパーであるがゆえに、アコースティックにも関わらず、「エクストリーム」な雰囲気を作り上げることができた。
そしてアンジェロは典型的ないわゆる黒人のヒップホップとは少し違い、テキサスのヒスパニック系の、そしてダラスの豊かなインディーシーンを背景とした、おしゃれ系インディーのラッパーだった。だから、おしゃれ系が好きな日本のオーディエンスにはまさにばっちりだった。そして、おしゃれ系にもかかわらず、その巨体と、暴れん坊な風貌は、その声量やパワーと相まって、「おしゃれなのにパワフル、エクストリームなのにスマートで繊細、しかもエモーショナルで強い信仰がある」という、ほとんど反則気味な破壊力のあるポジションに立っていた。
結果、言葉など伝わらなくても、ライヴハウスであれ教会であれ路上であれ、アンジェロは十分に人々を圧倒するパフォーマンスを見せていた。


けれどもアンジェロは案外と繊細な男であった。
そしてデリケートであり、シャイで内気な男であった。
そして、精神的にもわりと不安定であった。
また非常にエモーショナルな男でもあった。
彼は決して強い人間ではなかった。
しかしそのことについては後で述べよう。
どちらにせよ僕は自分の経験から言っても、ラッパーというのは、一種、他ジャンルのアーティストとくらべて、独特の生態を持った生き物であると認識している。
しかし社会的に社交的であることを前提とするラッパーたちの中では、アンジェロは間違いなくかなりシャイな方に分類されるだろう。


ここで話題をアンジェロから、日本のスタッフ、そして日本のアーティストのことに変えよう。

アメリカからのアーティストが一組しか来なかった今年のXTJに取って、最大の祝福は、それは日本チームが強められたことだった。
日本では第一回目の開催であった昨年のXTJ、それはほとんどの計画を僕が行い、ブッキングなども自分で行った。それはとんでもない試行錯誤であったが、その中で僕は限界を感じていた。なぜなら僕一人にできることには限りがあるからだ。
だから当初から、僕の目標は、このXTJというものを、他人にまかせることだった。いろいろな人々に関わってもらい、運営をどんどん人にまかせていくことだった。そしてその上で広げて、根付いていってくれればいいと考えていた。なぜなら、僕一人の限界が、ツアーの限界になってはいけないからだ。どんどん人にまかせて、パスしていく中で、このXTJというものが、僕のものではなく、皆のものになっていってくれればいいと考えていた。

そして、二年目の今年、ありがたいことに、それはかなり実現した。
昨年関わってくれた、触れてくれた仲間たち、今年新たに知り合った友人たち、彼らは、親身になって積極的に、このツアーに係わり、計画を立てて、そして実際に動いてくれた。

実際、この今年のツアーのうち、僕がブッキングしたのは、全体の3ぶんの1くらいだろうか。あるいはもっと少ないかもしれない。後は、皆がそれぞれに、計画を立て、ブッキングして、泊まるところとか、移動手段とか、考えて手配してくれたのだ。


そして、彼らは皆、大変だったと思うけれど、それを楽しみながら、excitementの中で、やってくれたと思う。これはとても大事なことで、それは、このThe Extreme Tourに関して、僕はかかわってくれる人たちすべてに、このexcitementというのか、「わくわく」を大事にしてほしいのだ。素敵なバンドが、素敵なアーティストや、魅力的なパフォーマーたちが、熱いメッセージを携えて、神様の愛を持って、街にやってくる。彼らと係わり、一緒にツアーを経験するのは、とても素晴らしい体験だ。その中で、「私もやりたい、自分も関わりたい」と思ってくれたら、それがベストなのだと思う。そして、そのわくわく感を大事にして行うからこそ、それを見てくれる人たちにも、そのわくわくや、楽しさが伝染していく。これが理想なのだ。


誰かを書き忘れたり、不公平になるかもしれないから、あえて名前を書くことはしないが、昨年から、また今年、ツアーに係わり、手伝ってくれた人々に、本当に感謝をしたい。そして、それぞれが、ツアーに関わる中で、良い経験をし、新しい友達をつくり、なんらかの学びを得てもらえるのであれば、とても素晴らしいことだと思うし、本当に今年は、この「日本チーム」が強められたと思う。たぶんそれも、神様の計画だったのだろう。
今回のツアーを通じて、いろいろな人と知り合い、お世話になり、またそれぞれの人たちが、それぞれの形で、実にいろいろな形で、手助けをしてくれた。
そしてそれは、僕が気付いていないところで、応援をしてくれたり、ご援助をいただいていることもたくさんあることと思います。本当にありがとうございます。
そして、実際に、関わりたくても、色々の都合やタイミングで、関われなかった人たちもいることを知っているから、それらの人々には、また来年以降、一緒にやろう、と、声をかけるとともに、ぜひぜひよろしくお願いします、とお願いしておきます。


そして、日本側のアーティストたち。
昨年も関わってくれたバンドさんでいうと、
儀太郎さん、
B.D.Badgeの中島寿朗さん、

平日夜の伊勢佐木町という難しい環境の中で、
見事にぶちかましてくれた「Atsuki Ryo with Jesus Mode」の友人たち。

三木くんのソロを含めて3度の参加、共演、
そして前半戦のハイライトとなる下北沢ReGでのツアーファイナルにXTJを参戦させてくれたCLOD、ならびに三木くん。あの日は、クリスチャンのバンドがたくさん集まって、その上でXTJとしての参戦ということで、僕もImari Tonesとしての参加ができて本当に栄誉なことでした。

そして今年本当に知り合って友人、仲間になることができて本当に嬉しく思っている"Soul of Faith"ソルフェイ、そしてオオハラ氏。
彼のことは本当に特別に思っているので別途後で。

そしてツアー終盤の四日市にて強烈なインパクトを残してくれたGeeBars (ジーバーズ)のお二方。本当に尊敬できる凄いアーティストです。
アンジェロはジーバーズを本当に気に入ってしまって、なんとかしてアメリカで売り出そうと言っているくらいです。あるいは本当に何かのプロジェクトが動き出すかもしれません。

昨年の路上ギグに続き、忙しい中で吉祥寺の井の頭公園ギグに参加してくれたヤマモトカオリさん。これからもぜひツアーに関わってほしいと思っています。

そしてうちの牧師さんであるVICのヤオさんも、El Puenteのアコースティックギグに参加してくれました。
ヤオさん、そして教会の皆さん、ご支援に本当に感謝します。

そしてもちろん西日本ツアーで共演させていただいたアーティストの皆さんも。


そう、そして彼らが集まり、小さいながらも一緒になってイベントを行う時、
たとえば前日に急遽決まったお茶の水クリスチャンセンターでのコンサートの時。
それも、当初は早稲田大学が会場の予定だったのが、どたんばで変更になったりと、本当に急遽のイベントだったけれど、
小さいながらも、そこに皆が集まってXTJの名前のもとにコンサートをして、最後にワーシップを歌ったとき、新しい何かがここから始まっていくのを確かに感じました。

そしてツアー中盤、吉祥寺の井の頭公園で、B.D.Badgeの寿朗さんや、ヤマモトカオリさんも含めて、ソルフェイのオオハラ氏、CLOD三木氏などが揃って演奏したとき(しかもその場に儀太郎のナウ氏もいらしたようで)、僕はその日は翌週からの西日本ツアーの準備のため参加できなかったにもかかわらず、イベントが良い感じに行われているのをネット経由で送られてくる写真を見て、ああこれはもう、俺は関わらなくても大丈夫だなあ、と、ちょっとそんな感慨を覚えました。もう、俺がいなくても、XTJはきっとつながっていくだろう、と。(ちょっと気が早いですが)



そしてここで個人的にソルフェイのオオハラ氏について書かせて下さい。

2014年、新たに知り合ったバンド、「ソルフェイ」、そしてそのリーダーであるオオハラシンイチというこの男。

俺はこの「ソルフェイ」に今年、係わり、ベーシストとして加入、というか参加、結局、Yutaくんが正規ベーシストになって、僕の出番は補欠な感じでしたが、ドラム叩いたり、音源制作手伝ったりマスタリングしたり。関わっています!

そして、最近のソルフェイは本当に!
アメリカをXTでツアーしていて、元気もよければイキもいいアメリカのクリスチャンのバンドを見て、「こんなバンドが日本にも居れば」と思っていた、
けれども最近のソルフェイは、本当に、「そう、これだよ、これ。居たよ、まさに、そういうバンド!」と言いたくなるようなぶっとばしっぷりです。

そしてそれは、クリスチャンロックをやりながらも、キリストの愛のメッセージを歌いながらも、ちゃんと激しくロックすることを忘れない、ロックバンドとして、てっぺんを目指すことを忘れない、というロックバンドとしての本分のところであります。

なぜなら、俺が本当に信じられるのは、「てっぺんを目指している」バンドでありミュージシャンだけだからだ!

そしてこの2014年、この第二回目のXTJを行うにあたり、
オオハラ氏は、ソルフェイとして参加するだけでなく、
自ら西日本ツアーのブッキングを先頭に立って行い、
そして、アンジェロ、オオハラ氏、僕、というこの3人で、アコースティックギターを3本抱え、僕たちは西日本ツアーに、男三人で出かけたのでした!

なぜこの3人で西日本ツアーに出かけることになったのか。
それは、この3人が、「声」を持っているから。
ロックを、神を、そして自らを伝える「声」を持った3人であるからだ、と僕は思っています。
アコースティックギター一本でも。
どんな路上であっても、環境であっても、スケートボードパークであっても。
自分の声だけで、周囲にそれを伝えられる、そんなアーティスト3人だからだ、と。

そして俺はオオハラ氏の地元である香川県を初体験しました。
瀬戸大橋も初めて渡りました。
そしてもちろん香川県の本場のうどんも体験しました。有名どころのお店を、3軒だけだけれども。
それはもちろん衝撃的な体験であった。
香川県は、かなりユニークで、県というよりは、まるで別の惑星というか、小惑星KAGAWAといった感じであった。

そんなKAGAWA星から来たオオハラ氏であるが、
彼の育った家庭環境は、決して音楽的や芸術的な環境やバックグラウンドはあまり豊かではなかったかもしれないが、
なので、この家庭で育ったからこういう音楽が作れるのか、とは正直思わなかったが、
けれども、
「ああ、こういううどんを食べたら、こういう音楽が作れるのか」
というのはかなり思った()!!!

なのでソルフェイの音楽の半分は神への信仰で出来ているかもしれないが、
残りの半分はたぶんうどんで出来ているのであろう。

そしてこの西日本ツアーを先導してくれたオオハラ氏は、
このツアーを通じて、非常に頼れる男であった。
頼れる男だとは知っていたが、やはり実際に共に旅をしてみると非常に頼れる男であった。
そして東京に居るときとは違い、
地元香川の言葉(関西弁の一種であろうと思う)に戻ったオオハラ氏は、普段標準語でしゃべっている時にくらべ、3割増くらいでパワーアップしていた。
これは案外大事なことではないかと私は思ったのであった。


そして今回のこの西日本ツアーで、もっとも嬉しかったこと、収穫であったことのひとつは、このオオハラシンイチが、一皮も二皮もむけて成長していく様を間近で見られたことであろうかと思う。

香川、西日本のシーン、そして今は東京町田のバンドシーンの中で活動している彼が、アンジェロそしてエクストリームツアーというものを通じて、世界の風を肌で感じ、そしてエクストリームな体当たりの演奏を経験していく中で、演奏面でも、意識や考え方の面でも、また視野としても、より大きなビジョンに目覚め発見していく様子は、隣にいてとても頼もしいものだった。

そして俺は正直、西日本ツアーが始まる前、この世界標準をマイペースで通してくるアンジェロに対して、日本バンドシーンの感覚で生きているオオハラ氏が、衝突するのではないか、不満やトラブルが出てくるのではないかと心配していたが、そこに予想以上の早さで学び対応してくるオオハラ氏の様子に、こいつはなかなかたいした男だなと感心させられた。こいつは成長することのできる男だと。そして彼はきっとそうやって自分の殻を破りながらその都度成長し、ここまできっと歩いてきたのであろう。

そして彼が、このツアーで世界の風を感じてアンジェロから、XTJから学び取ったことは、この先彼が、より成長し、将来的にクリスチャンシーン、ひいては日本の音楽シーンで、より大きな働きをしていくために、大きな糧、そしてきっかけとなるだろうと思い、またそうなることを期待する。こいつはきっとこれからまだまだ成長して神さんのために仕事をしていく男になるに違いない、と。

たぶん来年からもオオハラ氏にはこのXTJの半分は少なくとも任せられるだろうし、俺はもっと楽をしたいので、来年はもっと何もしたくない()
皆さんにどんどんまかせてしまいたい。

とにもかくにもオオハラシンイチが一皮むけてパワーアップしたことが、今回のXTJの個人的な収穫のひとつであったのであったのであった。


そしてこの西日本ツアーの終盤、車の助手席で彼と話しながら、
彼はこう語った。

「僕たちはまず、土壌を耕すところから始めなければいけない。」
と。

日本はクリスチャンの人口が少ない。
先進国の中で、群を抜いて極端に少ない。
そして、クリスマスというイベントは行われても、
キリスト教の文化や考え方は、ほとんどまったく浸透していない。

僕らが種を蒔こうとしても、
神の愛を伝えようとしても、
正直、その段階にすらないことがほとんどなのだと。

俺は、日本にロックが根付いているとは、あまり思っていない。
ロックを好きな人たちはいるけれども、それが生活や人生に根付いているかといえば、ほとんどまったく根付いていない。
そしてもっというと、民主主義や、資本主義すら根付いているとは思っていない。
そうこうしているうちに、世界では既存の民主主義や資本主義が、すでに限界を迎えつつあるのだが。

つまりスピリット的に、そして風土的に、キリスト教の神髄を語ろうとする時、それをまっすぐ理解できることのできる土壌は、限りなく少ないのだ。

だからこそ、いくら種を蒔いても、育たないのだと。
そのために、まずは土壌を耕す。
土壌を、耕す、ということは。
しかし俺たちは、俺たち芸術家、音楽家に、それらのことができると考えている。
まさにその土壌を豊かに耕すことこそが、芸術家、音楽家の仕事であるのだと。

そこから先は語ることはできない。
そこから先は、本当に戦いの部分であるから。
けれども、今回、このXTJ2014を行い、いろいろな人々に会い、演奏に触れ、見聞きし、
まだこの国に希望はあるかもしれないと、俺は少しだけ、そう思った。

オオハラ氏を始めとしてクリスチャンシーンにも素敵なアーティストが、決して数は多くないものの、がんばっている。
何かが始まろうとしている、そんな時なのかもしれない。
そんな時に、その種を蒔き、育てていくことができることに感謝をしたい。

まずは土壌を耕す。
それはとても気の遠くなるような、
そこからかよ、みたいな感じだけれど、
もし、今、こうして荒れ地に鍬を入れ、耕し始めた僕らが、
100年後、200年後、豊かに花が咲き、実る様子を見たら、
きっと涙せずにはいられないだろう。

そして、このExtreme Tour Japanとともに、そうした活動が、新たに根付いていくことを願い、祈り、確信する。


記す 20141126 ナカミネタカヒロ / Imari Tones (伊万里音色)








そしてここからは自分の演奏面も含めたミュージシャンとしての所感になります。

前述したように、今回日本に来てくれたアンジェロは決して強い人間ではなかった。
彼自身、とてもエモーショナルであり、繊細で、不器用な人間でありました。

正直、ツアー前に、アンジェロの事を、10年近くもアメリカのエクストリームツアーに関わっているツアーリーダーの一人である、と聞いた時、
この2年目のジャパンツアーに関して、関わってくれるスタッフやミュージシャンに対しても、たくさんのアドバイスや、導き、そしてエクストリームツアーはどうあるべきかといったことを、語り、そして見せてくれるに違いないと思っていたのですが、

実際に日本にやってきたアンジェロは、そうしたリーダー的な人物像からはかなりかけ離れた人間でありました。
彼はもちろん言葉の問題もあり、また日本のことも何一つ知らないということもあり、
彼が僕らをリードするというよりは、僕らが随時彼のことをリードして、ツアーを回っていく感じでした。

もともと彼は、日本に行く、ということも急遽決まったことであり、
また、彼の個人的なタイミングとしても、恋人と一緒にテキサスからテネシーに引っ越しを控えているタイミングであったり、親友の結婚式への参加を取りやめて日本へやってくることになったりなど、また日本に来るにあたって大きな仕事を3つ4つ断らざるを得なかったりと、「当初はそもそも日本に来る気はなかった」と本人も認めているなど、そういった意味でも、このツアー中のことで彼のことを評価するのはフェアではないかもしれません。

つまりは、アンジェロとしては、個人的にはおよそ最悪なタイミングで、この日本ツアーに派遣されることになったのだと思います。
しかしツアーが終わった今となっては、これも神様が計画したことだったのだろうと思っています。


アンジェロは、かなりデリケートかつ内向的な性格で、見た目こそ体が大きく、強そうに見えますが、内面はかなり繊細なのだと思います。しかし内面はそうした傷つきやすい中で、強い神への信仰を持っており、それが演奏時には非常にエモーショナルな表現になるのだと思います。

たとえば昨年来たThe Lacksのスコットなどは、本当にフレンドリーで、社交的で、また自ら、積極的に日本人とコミュニケーションを取り、少しでも日本のことを理解しようとするなど、彼のその姿勢には、本当に頭が下がりました。
そのほんの一年前には、アメリカでツアーを回っている際に、「日本人は毎日コメを食べるのか?クレイジーだな」などととぼけた発言をしていたのに、日本ツアーが終わる頃には、おにぎりが大好きになり、「もっとライスを食べたい!」と言うなど、その日本への愛は、とにかく僕らの心を打ちました。
そしてLack家の人々、お子さんたちの可愛らしい様子や、家族で演奏する素敵なステージに、会う人会う人、皆がThe Lacksに夢中になっていったのです。

その意味では、フレンドリーで社交的であったThe Lacksならびにスコットと、このアンジェロを比較するのはフェアではないかもしれません。
アンジェロは、繊細なタイプのアーティストである上に、たった一人で日本に来たのですから。言葉もわからない中で、一人で外国に来ている、ということの辛さは、僕自身も何度となく経験しています。しかも、僕は多少は英語がわかりますが、彼は日本語はまったくわからないわけですから。

けれども、ツアーを回る中で、宿泊先でも部屋にこもって出てこなかったり、常にインターネットやiPhoneをのぞきこみ、周囲とコミュニケーションをほとんど取ろうとしない、など、もう少し、せっかく日本に来ているのだから、周囲の人々と積極的に触れ合ってほしいと思うことが多々ありました。

けれども、今にして思えば、それにも納得できる理由がありました。それは後述します。

彼の精神的な弱さや不安定さを最初に垣間みたのは、ツアー序盤の福島ツアー、その最初に急遽決まった、南相馬でのライヴレコーディングの際でした。
彼は、この急遽決まったレコーディングの機会に、それまで録音することのなかった、これまで演奏する機会のなかった曲を選び出し、録音することにしました。
なので、何十回、何百回と演奏しているレパートリーとは違い、慣れないそれらの曲を、その場で練習してライヴ録音することは、難しかったはずです。
彼は演奏を何度も間違い、些細なミスに自分に腹を立て、その神経質で感情的な様子は、その場にいた僕らに痛いほど伝わってきました。

その様子に、俺は、ああこいつ、エクストリームツアーのツアーリーダーの一人といっても、人間として決して強いわけやないんやな、このツアーの間、彼が俺らの面倒を見るんやなくて、俺らが彼の面倒を見てやらなあかんな、と思ったものです。


ミュージシャンとしての視点から話しましょう。
他のミュージシャンはどうか知りませんが、僕らにとって、演奏とは常に戦いです。
もちろんそれは、自分と向き合う、自分との戦いの部分が大きいですが、互いに競い合い、魂をぶつけあってお互いを磨き合う、それこそが、他のバンドたちと一緒にツアーを回る醍醐味であるとも言えます。

そして、Imari Tonesという自分のバンドでアンジェロと一緒に回ったこの福島ツアー、二日間だけの短いものでしたが、スタジオでの録音、翌朝の礼拝でのワーシップ演奏、そして午後の子供たちの前でのコンサートと、自分のカウントとしては、3戦全勝でした。

そしてこれはフェアな勝負であったとは言えません。
僕らは3人組みのバンドで、彼はラッパーたった一人です。
しかもアンジェロにとって、Imari Tonesは初見です。
彼は、僕らImari Tonesがエクストリームツアー関係者ならびに業界人多数の度肝を抜いたあの2011年のThe Objectiveには参加していなかったのです。
だから、日本に来て予備知識なしにいきなりImari Tonesと当たるのは、簡単なことではなかったと思います。
自分で言うとあれですが、ローカルギグな普段のやる気のない時はともかく、ツアー中の調子の良いImari Tonesと当たって、それを上回れるバンドは、世界標準で見てもそんなに多くはないと思います。
(それでも、短い単発の国内ツアーで、まだ僕らはフルスロットルではありませんでしたが)

だからいきなり日本に来たカルチャーショックもありアンジェロはこの福島ツアーそして序盤戦、あまりテンションは高くなかったと思います。
そして、アーティストというのは、シンガーもそうですが、ラッパーも同じく、そして優れたアーティストであればあるほど、ミュージシャンとしてのエゴはやはり大きくなってくるからです。

話はちょいと変わりますが、
バンドVSラッパーという構図に関しては、かならずしもそれは不公平というわけではない。
それは、2012年にアメリカのXTに参加した際、一緒に回ったバンドの中でも、実力的にあたまひとつ抜けて拮抗していたのは、僕らImari Tonesと、黒人ラッパーであるDaMacで、常にその両者の勝負だったからです。それはバンドは生々しいロックサウンドが武器になりますが、ラッパーは、ノリのいいトラックで確実に客を踊らせることができる上に、オーディエンスとのコミュニケーションという点に関してはラッパーはロックバンドよりも格段に有利だからです。
けれどもアメリカのXTツアー環境へのアジャストに苦心した序盤戦以降はImari Tonesはリズムをつかむと、最終的に勝率は上回りました。そして最終的に彼と俺との大食い対決ですべては決まりました() それはもちろん、巨漢の黒人ラッパーよりも俺の方が大食いでは上だということです() そしてそのせいってわけじゃないでしょうが、彼はその後ダイエットを始め、一年後には別人のようにスリムになったのでした。

そしてそれはアホみたいですが、誰が主役を持ってくかという点に対しては俺もきちんとミュージシャンとしてのエゴや意地があり、その勝負の行方はお互いがちゃんと知っているということです。
しかし全体としては神に従順であるためのツアーであるので、他者を立てることで全体がうまくいくこともあるので、そこは脇役に回ることも当然あるのです。ただ打順が回ってきたときにはきちんとホームランを打ち、チャンスが来ればノックアウトしなければいけない、というステージ上の当然の勝負事なのです。

しかし本来Gallery Catというバンドで活動をしているアンジェロにとって、たった一人でアコースティックでの演奏ということで、バンド相手の演奏は少し部が悪かったことも事実であろうと思います。
けれども、冒頭に述べたように、アンジェロというアーティスト/ラッパー/シンガーの魅力を生かすにあたり、この一人アコースティックという形は、ある意味もっとも効率の良いものであることも事実でしょう。

どちらにしても、下北沢でのライヴハウスでの演奏も含め、バンドで臨んだ部分に関しては、サイドプロジェクトの「熱きリョウとジーザスモード」含め、僕の中ではきちんと全勝であったと思います。そのへんは、日本のバンドとして、きちんと返り討ちにしてやった部分ではあります()

そういう訳でツアー前半、アンジェロは周囲とコミュニケーションを取らない引きこもりな部分も含め、テンションは至極低かったと思います。そして前半戦折り返しの下北沢ではそれがピークに達していました。まあ、疲れてたんだと思いますが、単純に。それともうひとつの大きな事情もあったようで、それは後述します。


単純に疲れていた、ということも含め、福島ツアーでテンション下がっていた彼の復活に一役買ったのが、二宮で過ごしたオフの一日。
彼は、海を見に行ったんですね。僕と一緒に。
で、いろいろ詳細は省きますが、海を見て、"YOLO"という言葉(ヒップホップ用語?)を発し、彼は本当に元気になったんです。
あの二宮でのオフ日は、休息という意味も含め、本当に貴重であったと思います。
あれがなければ、本当に彼はツアー前半で「もう帰る」と言い出していたかもしれない。

そして俺の目からはほとんど「こいつやる気あるのか」状態だったけれども、
後半の西日本ツアーで彼はよみがえりました。
ひとつは西日本ツアーに出る前に、彼が俺の使い古しのデッキ(スケートボード)に描いてくれたアートワーク。
その見事な出来映えに、俺は「おお、こいつはこいつなりにツアーに協力する気がちゃんとあるんや」と安心というか感心しました。

そして、西日本ツアーの第2戦目。
香川の、丸亀市、四国福音キリスト教会でのコンサート。
ここで彼は完全によみがえりました。

最初はぎょっとしたんですよ。
いきなり始まった、何の予告もなしに、感情的にほとんど泣き叫ばんばかりのフリースタイル。
それはラップというよりも、演劇のような独白。
心からの叫びといったものでした。
彼は人生の苦悩について、自分の身に降り掛かる不幸について、泣き叫び、そして「俺はもう死んでしまいたい。そして肉において死んで、すべてを神にゆだねたい」
とラップするんですね。

俺はちょっとだけ英語がわかったので、その言っている内容が半分くらいわかってしまい、こいつ大丈夫かいな、と思うと同時に。

ここにあるのはピアノのついたバージョンですが。
これをアカペラでいきなりやられた日には。


そしてこのドラマティックで感情的なラップをやった後、
彼は本当に泣きながら、涙を流しながら、次の曲、必殺の決め曲"Love Never Fails"を歌い出すわけですよ。泣きながら。

これはちょっと、反則気味というか、これをやられた日にはちょっとかなわないという感じでしたね。

そして、俺は、この彼のパフォーマンスを見て、なんとなく、わかってしまったんですね。
「ああ、こいつ、彼女にフラれたんや。」
つって。
そして、
「そんで、これでたぶんそれを乗り越えて、吹っ切れたんやろな」
と。


ツアーを通じて知り合い、半年ほど付き合っているというその恋人。
その彼女も、エクストリームツアーに参加したアーティスト、シンガーソングライターらしいのですが、
日本から戻ったら、一緒にテネシーに引っ越しして、新しい生活を始め、そして来年には結婚を考えている、と言っていたその彼女。
日本ツアー中にも、WiFiがつながる場所に来るたびにビデオメッセージを送り、そして何度かスカイプで会話を交わしていたその彼女。
そして引っ越しを前にして、彼女がその決断にあたって揺れ動いている、また落ち込んでいる、ということで、ツアー中にアンジェロが数日間断食をして祈っていた彼女。

アンジェロが地球の裏側でツアーしている時に、破局というのは、
正直、かなりアンフェアな出来事だと思いますが、
しかしアンジェロは、そういう状態の時に、日本に来て、
またこの日本ツアーのために、それが直接の原因でなかったとしても、恋人と破局して、
それでも不満を言わずに、最後までツアーを走り切ってくれたことに、
僕は、
僕たちは、日本チームを代表して、
また、日本のクリスチャンシーンを代表して、
というか日本人として、本当にお礼を言いたい。

確かにアンジェロは、昨年のスコットのように、社交的ではなかったかもしれませんが、
内にこもってばかりだったかもしれませんが、
少なくとも、このツアーにあたって、周囲に文句や愚痴を言うことはなかった。

何を食べたいか、どこに行きたいか、聞いても、
「なんでもかまわない。俺は君たちが食べろといったものを食べ、行けといったところに行く」
と、いつもそう返事が返ってきました。
(いっちゃん始末が悪い回答、笑)

けれども、それに対して、彼は一度も文句は言わなかった。
彼は自分の置かれた状況に対して、すべてを受け入れ、そして従った。
それは、彼の持ち前の度量の大きさであり、また神への信仰であろうと。
その点に関しては、俺は素直に彼を尊敬します。

そして、この「泣き叫ぶフリースタイルラップ」をやるようになってから、
西日本ツアーのアンジェロはほぼ無敵でした。
失恋を乗り越え、解き放たれた男の強さみたいなものをすごく感じた。

俺もバンドなら勝てたんだろうけれど、西日本ツアーは俺も一人アコースティックで、しかも補助的かつ実験的な立場だったんで、引き分けはあっても勝った日はなかった感じでした。

そしてツアー終盤に向けて尻上がりに調子を上げていくアンジェロに煽られるように、
ソルフェイのオオハラ氏もどんどんテンションを上げていき、もともと二人ソルフェイとしてオオハラ氏のサポートに回っていた俺としては、ツアー終盤はかなりフラストレーションがたまりました()

しかし、それも、わかっていて引き受けたことだからね。
つまり脇役に回るということです。


そしてツアーの日程が終わり、最後の夜、桜ヶ丘キリスト教会に泊めてもらった際に、アンジェロはようやくリラックスして、語り出し、ツアー中に彼女に振られていた件を打ち明けてくれた。

俺は、「なんとなくそんなことだろうと思っていたよ」と返した。
まあ、今こうして日本語でそのことを暴露されているとは思っていないと思うが。
(ごめんね、アンジェロ)

しかし日本のスタッフや関わってくれた皆さんにはアンジェロの頑張りを評価するためにこのことは知っておいてもらってもいいと思ったのです。

そしてこの最終日の夜になって、アンジェロは、この日本ツアーに対する思いであるとか、所感、そして来年以降のヴィジョンについて語り出しました。
それはとても熱いもので、またやる気に満ちたものだったけれど、
俺としては、
「そういうことは、こんな最終日の夜になって俺一人だけの前で語るんじゃなく、
ツアーの最初の方で、スタッフやアーティスト皆が揃ってる時にそれを言わんかい!」
という感じでした()

そういうツアーの趣旨や考え方、ヴィジョンのようなものを、最初の方で皆と共有して、ディスカッションできていれば、どんなにかツアーをもっと良いものに出来たことか、と思ったからですね。

けれども、アンジェロも、何もわからない中で、日本の状況をひとつも知らない中でやってきて、ひととおりツアーが終わって様子がわかってからでないと、そういったことを語ることができなかったのでしょう。それは理解できます。

しかしなにはともあれ、アンジェロの中で、来年以降の日本ツアーに対する、また日本におけるThe Extreme Tourについての、ヴィジョンや、考え、計画が熱く燃え上がってきたのは良いことです。
それは、アンジェロは、長年かかわっているぶん、また地理的な面でも、昨年のスコット・ラック以上に、The Extreme TourのリーダーであるTed Bruunやその他中心の人たちに、近い位置にいると思われるからです。
なので、アンジェロが日本ツアーにOKサインを出したということは、来年以降、The Extreme Tourの本家アメリカ側としても、日本ツアーに力を入れてくる可能性が増えたと思います。


ちなみに日本ツアー中という最悪のタイミングで彼女と破局したアンジェロですが、吹っ切れた後は、彼はとても元気になり、「テネシーに一緒に引っ越す前にこうなって、むしろ良かった」と前向きな発言をしていました。健気なやつです。




そしてここからは、俺個人のアーティスト、ミュージシャンとしての達成度の話です。
バンドImari Tonesとして参加した前半戦。
急遽決まった、南相馬のライヴレコーディング、これは、自分たちの演奏力として至らない面もありましたが、結果としては十分な成果を得ることが出来ました。
そしてこの11月のライヴは、初頭の大久保水族館にて、ライヴの場における必殺神兵器HamerコリーナVの初使用でありました。
これは、我が人生最強のギターBacchus「猫ポール」に次ぐ必殺武器であり、猫ポールとどっちが強いか言うのは難しいですが、
レコーディングにおいては「猫ポール」に完全に一歩譲っておりましたが、
ことライヴの場においては、取り回しの良さならびに、速弾きのしやすさ、そしてフライングVという見た目、ショウマンシップの点もあり、猫ポールよりもむしろ使いやすいのではないかと予想しておりました。
そして実際に、Hamer USAという名に違わず、恐ろしいほどのバカ鳴りっぷりで、この福島ツアーを強力にサポートしてくれたのでした。

そして新曲投入となった"Jee-You"を自分たちのものにした上で、下北沢ReGでの「猫ポール」を携えてのパフォーマンスは、本年度のImari Tonesのひとつのハイライトとなり、またそれを、CLODさんはじめ、集ったクリスチャンバンドの皆さんと共有できたことは、本当に貴重な機会であり光栄なことでありました。
というわけで、バンドImari Tonesとしては、このツアーはおおむね、勝ち戦であったと言うことができます。

そしてそれは平日夜の伊勢佐木町の参加となった「ジーザスモード」においても、同様に、たった一度だけの平日の条件の悪いライヴでしたが、熱きリョウのがんばり、彼の情熱と熱さ、バンドとして得たものは決して少なくなかったと思います。"The Extreme Tour"のバンドとして、十分に戦えるだけの実力と素質があることを、ジーザスモードは証明してくれました。

そして、このXTJ2014は、私、ナカミネタカヒロにとっての、アコースティックアーティストとしてのデビューの場でもありました。
もとより、何度かアコースティックのライヴはもちろんやったことがあり、今年も2、3度、アコースティックの発表の場がありました。
しかし、昨年のXTJで、日本の環境におけるアコースティック演奏の重要さを再認識したこと、そして、今まであまり信用できなかったアコースティックギターというものに対して、信頼して自分の表現を委ねることのできる楽器(HEADWAY)に出会うことができたことなど、いくつかのきっかけと理由があり、私は今年、本格的なアコースティック活動を始めようと、準備をしていました。
そしてこのXTJ2014が、そのデビューの場となりました。

新たにフィンガーピッキングによる表現を追求し、
慣れないながらも、試行錯誤し、西横浜El Puenteのギグが、そのデビュー戦となりました。
結果は上々で、El Puenteでのパフォーマンスは、アンジェロやヤオさんなど、共演の皆さんに負けないものであったと思います。

そして西日本ツアーは、その「一人アコースティック」で臨みました。
とはいっても、自分の「一人アコースティック」は、まだまだ試行錯誤の段階であり、高松で行った高松Beatlesでのオープンマイクでは、慣れない環境や準備不足などもあり、フィンガーピッキングが思うようにできず、実験的にいろいろなことを試すだけに終わりました。
けれども、その次の四国福音キリスト教会における教会コンサートの場では、会場の音響や、教会という場として、自分の追い求める「アコースティックによるワーシップ」の表現を行うことが出来、結果として、たった3曲だけのパフォーマンスではありましたが、今の自分における最高のものを提示できたと思います。
出来としては、アンジェロやオオハラ氏に一歩も譲らない演奏ができましたが、前述のとおり、この日、アンジェロは必殺の「泣き叫ぶフリースタイル」を繰り出してきたので、主役はやはりヘッドライナーである彼に譲ったかなといった感じでした。
しかし、自分の演奏のスピリット的なテンションで、後に続くオオハラ氏やアンジェロにつなぎ、その上でアンジェロのあのパフォーマンスを引き出すことが出来たのであれば、僕は自分の役割はしっかり果たしたであろうと思います。

その後の演奏も決して悪くはなかったのですが、
基本的に二人ソルフェイとしてオオハラさんのサポートに回ったこと、自分の持ち時間は限られていたこと、いまいちめぐりあわせの悪さなどもあり、ツアー終盤はナカミネタカヒロのソロとしては、いまいち不満の残る内容でした。

そしてそのフラストレーションがわりとたまっていたので、
最終日の四日市バイタルさんにおいて、スケートした時も、感情的な問題があり、思うようにスケートの実力を発揮できなかったのも事実です。
しかし、それも含めすべて学びであり、
終盤のギグにおいても、一番手をこなすことで、後に続くオオハラさんやアンジェロに高いテンションでつなぐ役割は果たせたと思います。

そして、そのように脇役に回る中で、ツアー最終日に、神様はひとつ僕に新たなプレゼントをくれました。
それは、ヘヴィメタルシンガーとしての新たな表現領域。
せっかくスケートパークでの演奏なのだから、そしてどうせ演奏もぶっちらかっていたので、アコースティックで無理矢理でも、僕らのバンドのスケートボードソングである"Born To Ride"を、演奏したくなったのです。
そして、ひどいことになるだろうと思いつつ、無理矢理アコースティックギターで弾いて歌ってみたところ、これが意外とはまった!!
その後の名古屋金山路上でも、このBorn To Rideは炸裂しまして、おそらくかなりとんでもないことになっていたと思われます。

つまりこれは、アコースティックギターを使っても、ヘヴィメタル唱法による表現が可能だという発見であり、つまりアンジェロがアコースティックギター一本でラップをやるように、自分もアコースティックギター一本でヘヴィメタルを演れるということであります。
これは、自分の新たな表現の可能性として、このツアーの最後に神さんが示してくれた啓示(Revelation)でなくて何でありましょう。
これは自分にとっては、脇役に徹していたツアー終盤において、何より嬉しい神さんからのプレゼントでありました。


そして、もうひとつは、オオハラ氏と二人で繰り出した「二人ソルフェイ」です。
これは、アコースティック表現においてこれまでの積み重ねとこだわりを持って歩んできたオオハラ氏と、基本エレクトリックギタリストですが新たにこだわりを持ってアコースティックの世界に踏み出した私との、まごうことなき共闘の作業でありまして、
彼のGibsonサザンジャンボのドンシャリかつ鋭くロックな鳴りに対して、澄んだ音色で対抗する僕のHeadwayの組み合わせが、思った以上の効果を生みました。当然、この場合は僕はピックで弾くことになるので、ピックによるソロ、コードワークなど、そもそもフィンガーピッキングを想定してチョイスした自分のHeadway HD-35TH "レビヤタン"ですが、ピック弾きでがんがん弾きまくった際の実力も、予想以上に発揮することになりました。
そして予想外だったのは、自分のスライドプレイです。ソルフェイの楽曲「Workman」において披露した自分のボトルネック、スライドによるプレイは、自分で思った以上にうまくいき、ほとんど初めて、スライドによるプレイを自分のものとするとともに、ショウのハイライトとすることが出来ました。これは、ギタリストとしては、大きな経験でした。

そして人前初披露となった僕のHeadwayも、オオハラ氏の熱いパッションに煽られて、夢中でピッキングする中で、ツアーが終わってみれば、初めてのピックスクラッチの傷が付き、そして、楽器としての鳴りも、一段階成長、熟成したようでした。

さて、そのように自分はこれから、アコースティックを演奏するソロ活動も、本格化させていくつもりです。
そのデビュー戦であったこのXTJ2014ですが、「詩編104:26」と書かれたレビヤタンの紋様の付いたこのHEADWAYとともに、伊万里音色ナカミネタカヒロのアコースティックを、ぜひよろしくお願いいたします。

そして自分がHeadwayを選んだのは、日本人らしい繊細な澄んだ音色とともに、クリスチャンミュージックの世界で周りを見渡して、Headwayを使っている人があまり見当たらなかったからでもあります。
たとえばヤマモトカオリさんはTakamineを使い、横山大輔氏はTaylorを使っています。神山みささんはGuildを使っているし、MigiwaさんはMcPhersonを使っています。
けれどもクリスチャンミュージックの世界で、自分はHeadwayをトレードマークにしていきたいと思っている所存です。これは、自分のミュージシャンとしてのアイデンティティとして、わりと大事なことだと思っています。


楽器のトピックでいえば、
この日本ツアーを通じて、アンジェロは僕のSeagull S6+を使っていました。
それはもちろん、ツアー用に僕が彼に貸していたということです。
だから彼が演奏した写真で、彼が持っているSeagullのギターにはImari Tonesのロゴが入っています()

けれどもこのSeagull12年間も使っているものですが、使い込んだ年月もあり、たかだか4万円のギターなのに、恐ろしいほどの鳴りを持っています。もちろんSeagullを使ったことのある人は、Seagullはただの安いギターではないことを知っていると思います。シダートップによる太く暖かい鳴りは、アンジェロの太い指先にかかると、さらにぶっとい音を出し、そしてそれはアンジェロの迫力のある声、演奏と相性はばっちりでした。
そして自分の手元に戻ってきたこのSeagullは、前よりもさらにぶっとい音で鳴るようになっています。何してくれんねん、アンジェロ、ではなく、楽器のポテンシャルをさらに引き出してくれたことに感謝といったところです。
いずれにしても恐るべしSeagullです。
自分はこのSeagullは録音などに今年も使っていますが、さらに鳴りが引き出されているように思います。また来年、来日したアーティストに貸し出されるかもしれません。


そしてアンジェロ、オオハラ、ナカミネの3人で行った西日本ツアーは、
「声」を持った3人の旅路でありましたが、
シンガーとして考えるなら、アンジェロとオオハラ氏はバリトンであり、私はテナーでありました。
当然のことながらシンガーとしてはテナーの方が高いハードルを跳ばねばならず、声の準備や負担もかかるため、その部分が差となって今回の過密日程の中で出て来たところもあります。
要するにテナーはいろいろめんどくさいのでマイペースでやらせてもらえないと無理だということです。
しかしテナーは外れる時もありますが、当たった時の威力はでかいので、当たりのギグの時のインパクトはしっかり残すことが出来たのではないかと思います。

自分としてはこの「一人アコースティック」、成功したのはEl Puenteの時と、四国福音キリスト教会の時だったと言えます。
その他はいろいろの関係で脇役に回りましたが、いろいろな条件で実験が出来たこと、「Born To Ride」のアコースティックでもヘヴィメタルが演れるという発見があったことなど、今後に向けて十分なデータを得ることが出来ました。

終盤でひとつ悔しかったのは、金山駅前で路上をやった際、まあギターに関するトラブルなども重なりましたが、時々やっている「Over The Rainbow」の独唱パフォーマンス、あれをやろうと思ったのですが、その前にオオハラ氏のソルフェイの楽曲のコーラスをばっちりやった結果、ノドが消耗したタイミングで、しかもその場に水のボトルも無かったということで、あの場でひとくち水を飲んで自分の出番に臨んでいれば、きちんと成功したパフォーマンスが出来ていたのに、ということです。

しかし皆でやっていることなのでこれは仕方がないことです。
そして良いことを言えば、動画など見返してみると、自分では失敗したなという箇所でも、それなりには出来ている。
つまりプロフェッショナルなパフォーマーとして大事なことは、調子の良いときに良いのはあたりまえですが、調子が悪いときでもそれなりのパフォーマンスが出来ること、そして調子が悪いときでも堂々としていること。
そのあたりの底上げが出来ていることは、良いことだと思います。
つまり脇役に回った西日本ツアーにあっても、圧倒的な勝ちはなかったとしても、完全に負けた試合もなかったということです。これは案外大事なことです。


そして今後のツアーの運営に関して、アンジェロについて最終的な講評を言うのであれば、
つまりは彼はラッパーです。
ラッパーというのは社会的な本能に基づいて行動する生き物であり、
アンジェロもその例に漏れません。

最終日の夜に今後の日本ツアーのヴィジョンについて、彼の口からいろいろと聞かされました。
彼は寡黙で、繊細なタイプのアーティストです。エモーショナルであり、アップダウンの激しい芸術家タイプの男です。
(寡黙とは言っても、そこはやっぱりアメリカ人なので、日本人の感覚からすると、たぶんまだおしゃべりな部分があるとは思います。)

アメリカ人はとにかくおしゃべりなので、彼らの言うことの、半分くらいは口だけで終わってしまうことを経験上僕も知っています。

2年目のXTJにあたって、また一人、アメリカ側のXTの中から、日本を経験して日本を知ってくれたのは嬉しいことです。
けれども、来年以降に向けて、どのアーティストを呼び、誰と計画を立てて、日本ツアーを設計していくのか、それは大きな問題です。

アンジェロは立派な仕事をしてくれましたが、僕らはThe Lacksならびにスコット・ラックとも仕事をしたいと思っています。

そしていちばん理想的なのは、日本チームがさらに強められ、アメリカ側から学びながらも、日本チームが主導権を取ってツアーを設計していくことです。
(そして、そのための水面下での動きが、この文章を書いている今、すでに始まっています。)

自分の本当の本音を言えば、アンジェロは繊細で、必ずしも人間として強くない、弱い部分もあるので、周囲が大なり小なり彼のケアをする必要があり、その意味ではツアーリーダーとして機能しない部分があります。

少なくとも俺は、自分が脇役に徹せざるを得なかった今回の西日本ツアーのような回り方を、もう一度やれと言われたら、正直言って嫌です。イヤというか、無理です。
それは、俺もアーティストである以上、仕方の無い部分です。

そして何度も書いているようにラッパーというのは社会的本能に基づいて行動する生き物です。それが彼らが活動し、のし上がっていく方法だからです。そのぶん、彼らは社交的ですが、どうしても最終的には利己的な選択をしてしまうことを俺はなんとなく知っています。
いちミュージシャンとして、ツアーを一緒に回る相手としては楽しいですが、一緒に物事を計画する相手としては、ちょっと嫌かなあ、という思いもあります。

しかし、今回のツアーで、アンジェロが得たもの、日本チームが得たもの。
そして特に、オオハラ氏とアンジェロの間で、同じ歳のミュージシャンとして、国籍や文化を越えて、言葉にできない友情と、良きライバル関係が生まれました。

なので、俺があれこれ言わなくても、オオハラ氏や、日本チームの皆が、来年以降もしっかり計画してくれるであろうと思っています。

当然すぎることですが、日本のことを最終的に本気で考えられるのは日本人である僕たち自身です。
なので、このThe Extreme Tourも、日本ツアーを根付かせるためには、日本チームが主導権を取って、自分たちで考え、行動していくのがベストなのです。


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